Hard work by INTERNET

ベンチャーで働くひとりぼっちWEB開発者が頑張るブログ

継続してインターネットでアウトプットする勇気

インターネット歴の長い人が犯罪をしていないなら、アカウント変えずに発信をし続けても問題ない、みたいなスタンスで、思想を垂れ流ししている人がいるけど、あれどうなっているんだ。人からどう思われるとか、過去の発疹を調べられて、揚げ足を取られることを恐れていないのか。僕はTwitterを書けなくなった。僕の浅はかさをみんなに知らしめてしまうかもしれない、という恐怖のせいで。首を吊るぞ

常に高い負荷の状態で仕事をしていると死ぬ

僕が今いる会社では、勝手に強いプレッシャーを受けながら働いている。ボロを出すとすごい勢いで正論が返ってきて論破される環境だ。本当に辛い。隙を見せたら自尊心が全て吹っ飛ぶ。だから完璧なものをアウトプットしないといけない。そんな環境に僕は身をおいている。流石に辛くなってきたので、先週激詰されたタイミングで、退職を申し出ることにした。その後、面談を経てどうして退職にたどり着いたのかを話し合うことになった。結局は人間関係ということになったが、無理なんよ。理詰めしてくる人がいるとそれだけで無理。強いストレスをかけてくる人と一緒に働くということが無理なんだから、ストレス発生源と話し合っても何も解決はしない。どうして僕が我慢を敷いて在籍し続けるという選択が出てくるのか本当にわからなくなってきた。経営者からしたら、少人数の会社で人が辞めるとスケジュールが大幅に遅延することになるので、やめて欲しくないだろうが俺は無理なんよ。ニュートラルな状態でストレスを感じる環境があって僕がそこで苦しんでいる、以上の事実はないし、改善できないのであれば僕は辞めるという単純な話なんだよな。だから話し合いの余地はないと思いませんか。

人生なんてものは存在しない

youtubeに、公園に設置している水飲み場から出る水で遊ぶ子供が写っている数秒の動画が上がっていて、「人生を楽しむ」と言うタイトルがつけられていた。この動画投稿者は、人生を豊かにするコミュニティを主宰している人で、人生は辛くないよ、と言うメッセージを伝えたいと、僕はそう受け取った。でもさ、人生ってものはそんなものはないんだよ、って僕は思っている。まだうまく言語化ができていないだけど、人間活動は、本来は無である生命活動に対して、無理やり意味づけを行って、社会を牛耳っている人たちのコマでしかないと思っている。僕たちが新製品の発表を見て喜ぶのもただのガス抜きだ。彼らにとって僕らには死んでほしくない・大切な労働力なんだ。だから、社会は自殺を悪としてみなす。生きているだけでお金がかか流。お金が必要だから労働を強いられる。この死ぬまでの繰り返しに意味なんてない。自分の遺伝子を残したいとも思わないので、スッと絶命できる装置があれば使いたい。あ〜人間あ〜人間。

はーーーどうしてこうなった

2年前は東京のベンチャーに所属していた。当時は周りから吸収できることがなくなったと感じていて、ストレスのない弛んだ環境だったと判断して、今の会社に転職した。しかしだ。この会社にいる人はソフトウェアに精通しまくっていて、僕が全く役立たずになってしまったのだ。そんな僕は自分の無力感と戦いながら2年間在籍した。でも限界だし、パワハラだよって言う仕打ちを喰らうようになったので逃げるように退職の手続きをしているところだ。どうしてこうなった。地球人とスーパーサイヤ人が戦ったくらいの実力差を感じた。本当に何も歯が立たなかった。googleとか世界と戦う人たちはこう言う人なんだな、と言う実感が持てた。そして僕は駆け出しエンジニアを名乗ることにした。

従業員から、当事者意識と自己肯定感を完全に消し去る方法

対象の従業員の成果物を全て書き直して、全て正論で論破していくのです。そうするとその人から当事者意識と肯定感は無くなります。僕がそうなりました。

360度評価を僕だけ体験した

訳あって、同僚から僕がどう思われているかを聞く機会を得た。評価内容的にはそうだろうな、という感想だったんだけど、同僚と会話するときに目を見て話すことがない気持ちになっている。例えるなら、よく行くラーメン屋で店員に認知されていることに気がついたような感覚だ。これはよく言われていることだけど、店員に認知されるとその店に行きにくくなる人が多いらしく、僕もその一人だ。

仕事が嫌だなーと思っている矢先にこのイベントが発生したので、なおさら仕事が嫌になった。首を吊ります。